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先生の、見つめてきたもの │ Vol.07


サンゴ礁の海に囲まれた故郷

私の生まれは沖縄の宮古島です。自然豊かな離島でのんびりと育ちました。絵やマンガを描くのが好きで、憧れの人は漫画家の手塚治虫さんと鳥山明さん。手先を使って細かい作業をするのが大好きな子どもでしたね。
自宅が産婦人科の病院だったので、小さな頃から父の働く姿を見て育ちました。いつも患者さま最優先だった父のことを尊敬していましたし、とてもやりがいのある仕事だと思っていたので、私自身も自然と医師を志すようになりました。

整形外科から、
より細かい手技が必要とされる眼科へ

中学からは島を離れ、愛媛県の中高一貫校に進学しました。この頃には絵を描くよりスポーツが楽しくなっていて、バレー部と陸上部に入りました。3 分の1 の生徒が医学部に進学する学校だったので、医師を目指すには良い環境だったのかもしれません。医学部を卒業後、地元沖縄に戻り初期臨床研修医として働き始めました。とにかく憶えることが多く、朝から夜まで働き詰めでしたが、多くの経験を積むことができました。当時、熱心に指導してくださった先生や上司のことは、今でも忘れられません。もともと外科的なものに興味があったので、後期研修では整形外科を選びました。しかし診療する中で、もっと繊細な手技が多い眼科を極めたいと考えるようになり、最終的に眼科に転科しました。

著名な先生方から直接の指導を受けられる、
恵まれた環境

井上眼科病院で働くことを決めた理由は、専門分野のスペシャリストがたくさん在籍されていたからです。入職後は、基礎から高度な知識まで、先生方に徹底的にご指導いただきました。徳田先生に、別室で遠隔で映像を見ていただき、マイク越しにアドバイスを受けながら手術を進めたこともあります。術後に何度もその映像を見返し復習していました。思った通り細かい手作業が性に合っていたようで、眼科の勉強は楽しかったですね。現在は、主に一般眼科と白内障の手術を担当しています。白内障の手術で見えるようになった患者さまが喜んでくださるのが、やりがいを感じる瞬間です。

現在は医局長となり、自分の診療や手術以外にも医局全体に目を配らないといけない立場にあるため、また違った忙しさがあります。若い先生やスタッフの相談を受けることも多いので、スタッフ同士でコミュニケーションを取りやすい環境を作ることが、今後の課題です。わかりやすい言葉でご説明し、医学的に正確な診断と治療をご提供できればと思います。何か少しでも不安に感じることがありましたら、なんでもご相談ください。
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