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先生の、見つめてきたもの │ Vol.06


信州・松本育ち。
医療が身近にあった家庭環境

私は生まれは東京ですが、親の仕事の都合で長野県の松本市で育ちました。将来はサッカー選手になれたらいいなと思いつつなんとなく医学に憧れていた、そんな少年でした。というのも我が家は曽祖父の代からの医師家系。家では眼科医だった両親の会話をよく耳にしていたので、医師という職業が身近だったんですね。医師は人の役に立つやりがいある仕事だという両親の言葉が強く心に残っていたので、高校生の時に医学部に進むと決めました。専門を眼科と決めたのも自然の成り行きで、研修で眼科をまわったときが一番楽しかったからです。

医師としての礎を築いた
千葉の病院での経験

医師になったばかりの駆け出しの頃、千葉の旭中央病院という地域の基幹病院に勤務したときのことです。新人医師として多忙な外来診療をこなしながら、上司にあたる医師から厳しい指導を受けていました。先輩医師のハイレベルな技術になかなかついていけずに、悩んだ時期もありました。実際、最初に学んだ白内障の手術は予想以上に苦戦しましたね。

基礎をしっかり叩き込まれていたので、その後は順調にさまざまな手術に対応できるようになりました。苦難を乗り越えられたのは同じような境遇で共に寮生活をしていた同世代の仲間のおかげかもしれません。病院に隣接していた寮は合宿所みたいに賑やかで楽しかったですよ。私の専門は網膜硝子体です。難易度が高く緊急疾患も多い分野ですが、当時の上司の職人技を直近でみて感銘を受けました。恩師でもあるその先生とは今でも連絡をとっています。当時は教わる一方でしたが、今では討論することもあります。自分の成長を感じる瞬間ですね(笑)

充実の医療体制のもと、
包括的、全人的に患者さまの眼を診ていきたい

その後いくつかの病院を経て、約3ヶ月前に当院に着任しました。西葛西・井上眼科病院は専門のスタッフによるサポートが充実しているので、医療行為だけに集中できるのが大変ありがたいです。こちらでも網膜硝子体を中心に、眼全体を診察したいですね。包括的に疾患を把握することが患者さまの負担の軽減につながりますから。同時に、現状を客観的に判断し、他の医師と的確に連携することも大切だと考えています。

私の好きな漫画の中に「納得はすべてに優先する」というセリフがあります。納得していれば辛くても大変でもやっていけるという意味です。私はいま、患者さまも私も納得できる医療をご提供するための下地をつくっている段階だと思っています。これからがとても楽しみです。眼の違和感一つでもきちんと解決していくために、患者さまの言葉にしっかりと耳を傾け、双方が納得のいく丁寧な診察を心がけたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
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